限りなく透明に近いくらげ

経済学部3年のくらげの日記と、何か考えたことで皆さんに伝えたいことがあれば書く

2018年6月29日 人を信じるということ

元々私は恋愛にどっぷりと浸かる人間ではなかった。誰かを頼って生きていくのが怖いからだ。

人生においては、20年という少ない人生の中で、多くの人の裏切りを見てきた。

人というのは、最初は甘い顔して他人につけ込み、いざとなったら掌を返したように冷たくなるものである。

一番かわいいのは自分だからだ。人というのは残酷である。

多くの人の裏切りを見てきたが、人に話せる経験を一つ挙げてみる。

 

私は高校時代に、毎日ご飯を食べていて、一緒に勉強をしていた友達がいた。

私もその友達も首都圏の大学を志望していて、いつも一緒に東京(神奈川)の大学に合格するために頑張ろうと言っていた。私の高校は成績順にクラスが振り分けられていて、私は3年から一番上のクラスに行くことができた。

その子は一足先に、2年次に一番上のクラスに行っていた。3年次も彼女の方が成績が上だったし、彼女なら東京のそこそこいい大学に行けるだろうと思っていた。

結果は、お互い第一志望の国公立は受からなかった。

私は滑り止めで受けた今の大学に合格していたので、なんとか東京の大学に行くことはできた。

しかし友達は東京の大学には引っかからなかった。彼女の方が普段の成績は上だったのに、大学受験とは不思議なものである。

お互い首都圏進学を目指していて、それを取れたのは私だけという結果になった。そのことで彼女との友人関係は崩れた。

あれだけ仲良かったのに、3月以降一切連絡を取り合わず、卒業旅行に行くこともなかった。(彼女は国公立後期で地方に行ったのだと、他の人から聞いた)

 

人間関係というのはこのように、ちょっとしたことですぐに崩れてしまうものである。

その子とのことはよくある友人関係のいざこざであるが、他にも家族関係や友人関係、その他で人は裏切る生き物だというのを肌で感じてきた。

だから、誰かに頼る生き方はできないのである。

一人の人に依存しないよう、自分の気持ちを複数に分散させて20年間生きてきた。

しかしその生き方が180度変わった。

今の恋人というのは、私が人間不信のめんどくさい人間でも真っ直ぐにぶつかってきてくる人であった。

私は10年間父親と一緒に住んでいなかったから、随分年上な彼に、大人の男性が私を守ってくれる存在?というのを求めるようになったのだと思う。

人を信じるということを教えられ、私の居場所を作ってくれた。

もうここまできてしまったから、私の人生においては彼を置いて考えることができない。

きっと離れる時は、私の心が死んだ時…な気がする。