2019年3月18日 "人生の生き方を決める就職活動"くらげたそ編
はじめに
今、大学3年生は就職活動の真っ最中だと思う。
本来なら、この記事を2月中に書くべきだった。
しかし、予定が立て込んでいたのでブログを書く時間がなかった(申し訳ない)
今からでも、2020卒、2021卒の就活生の力になりたいな〜と思ったので、
2019卒の私の就職活動について、また、私の人生観について、ブログに書いておきたいと思う。
読んでくれる人がどれくらいいるかわからないけれど、書きます。
就活の軸について
就活生が悩むところは、就活の軸をどう決定していくか、というところだと思う。
履歴書の書き方や、どうやったら面接が通るか、なんかは、このブログを参考にするより、大学の就職課に相談したり、実践で乗り越えたりする方がためになると思います。
では、就活の軸をどう決定させるか。
それは、自分が今後どのような人生を送りたいか、で考えるべきだと思う。
ちなみに私は、
- 東京一拠点で仕事ができる(出張などは行く気満々だったが、転居を伴う仕事はしたくないと思っていた)
- 月給21万円以上、ボーナスあり(東京で暮らしていくためにこれくらいのお給料は必要かなと思った)
- 福利厚生が良い(中でも、家賃補助と年休125日以上、退職金あり、4種の社会保険完備というのは気にしてました、それ以下だと精神が追いつかないかなと個人的には思いました)(勿論入ってみたらブラックだった、というパターンはあると思いますが、募集かけてる段階で上記の条件を書いてない会社はガチのブラックだと思います)
上記の軸は、私が東京で人として働くために最低限クリアしていたかった軸です。
最後にもう一つ。
- 専門性のある仕事がしたい
これは、私の夢につながる就活の軸でした。
私は、どこか一つの企業に縛られて生きていくのは嫌だな、とずっと思っていました。
しかし、働き続けたい、それも組織に縛られず自由に働きたい。
→いつかフリーランスで働いていきたいな、、
に繋がります。
これが私の夢です。
私は最低限の軸プラス、上の夢を叶えられるような仕事に就こう、と就活中は考えていました。
夢を叶えるための第一歩となる就活をしよう。そう思いました。
条件が細かすぎたので、結局就活が終わったのは2018年の8月頃。実に、半年以上就活をやっていたことになります。(私の就活は大学3年の冬インターンから始まっていたので)
その間、金融業を考えたり、マスメディア関係を考えたり、大学院に行くか専門学校にいくかを迷ったりしました。
正直辛かったです。6月時点で終活を終わらせてる友人もいましたが、羨ましかったです。
私も6月に1社だけ内々定を貰っていたのですが、上記の条件に当てはまらないところだったので内定辞退をしました。
ブラック求人ばかりになっていて絶望していたとき、たまたま内定先の会社が、内定辞退者の枠を拾うために夏に新卒採用を開始していました。
私は、その枠にたまたま滑り込むことができ、納得の行く形で就職活動を終わらせることができました。
私の就活から学んでほしいこと
みんな、自分がどういう人生を歩みたいかを考えながら軸を決めましょう。
軸は人によって多種多様です。
全国転勤をしていろんな土地で働いてみたい人もいますし、高級取りになりたい人もいると思います。行きたい業界が決まってる人もいると思います。
私が伝えたいのは、一回決めた軸を絶対に曲げないこと。
もう就活が辛いから内定が出たところでいいや、とはならない方がいいと思います。
新卒カードを使えるのは一度きりです。
第一志望の会社に受からなくても落ち込まないこと、これはこれで大事です(第一志望に落ちたくらいでクヨクヨしてたら、就活中本当に鬱になります)
第一志望が決まってる方。第一志望を目指すのはとてもいいことですが、落ちたときの脱力感は半端ないです。だからその企業に縛られるのではなく、
「自分の未来を掴むためにはどういう切り口で今回の新卒就活を乗り越えればいいかな」という視点を持ちながら、受ける企業を決めてほしいです。
(世の中にはいろんな切り口から夢を切り開いてくれる企業があります)
自分の軸だけは曲げずに、自分の納得のいく人生を歩めるであろう企業に内々定をもらえるまで、就活を続けるべきだと思います。
就活、本当に辛いけど、納得行くまで諦めちゃだめだよ!
2020卒就活生、それ以降の就活生、
本当に応援してるので頑張ってください、、!
以上。
くらげたそより
8月12日 働き方改革の過渡期にいる私たち若者は
ここ数年の日本の働き方改革は過渡期と呼ばれている。そのために、労働者の働き方が変わりつつある、今の時期の若手労働者が自分の将来の方向性を見失いがちである。
年配者は以前までの考えで労働を逃げ切れる。(女性は専業主婦でも兼業主婦でも良い・日本企業の終身雇用制度など)
だが、時代の転換期を生きる若者は、様々な働き方から、将来性のある働き方(又は自分がしたい働き方)を選んでいかなければならない。
働き方が変化している制度として、女性の働き方改革を取り入れてみよう。
女性の働き方改革は、現行の制度はとりあえず女性が同じ会社で働き続けられるようにする(育休産休などをとりあえず取り入れてみる)
までしか変わってない。女性の、妊娠出産以外のライフイベントを考えてキャリアを繋げていくのはまだまだ難しい。(一部の会社、職種は除く。社会全体に浸透していないという意味)
なので旦那さんの全国転勤に合わせて、女性がキャリアを捨てずに正社員でついていけるような社会づくりをしていかないといけないし、
数多くの古い体質の日系企業の性差をなくしていかなくちゃいけない。
このことを踏まえて、女性の社会進出の過渡期を迎えている私たちは、現在は兼業主婦も専業主婦も個人の価値観により選べる時代を生きている。
しかし20年後、真の意味で働き方改革が進んだ社会になっていたら…
過渡期をのんびりと過ごして専業主婦を選んだ女性がどうなるのか…?
"今以上に"今は女も働くのが普通なのになんで専業主婦なんだ、と下の世代に思われるのかなあと思うと、
女性の働き方改革が、真の意味でどんなに急な人生のライフイベントがあってもキャリアを繋げていけるようになるまで、
私たちは辛くても頑張ってキャリア形成をしていくべきなのか?
しかし、そのような状況が見えていても専業主婦を選ばざるを得ない人もいる。
結婚後男性の全国転勤(一般的なサラリーマンは全国転勤があるとする)に女性がついていきながらキャリアを繋げていくのは難しい(一部は除く)ので、専業主婦になる人がいるのはしょうがないのかなあと思う
あと親世代が専業主婦が多いため子どもも同じ教育を受けるため、専業主婦という選択を選びがちのもある。
また、終身雇用制度が崩壊し実力主義に変化しているという意味でも、現代は働き方改革の過渡期と言える。
日本では終身雇用制度で成り立っている日系企業が多いのと同時に、実力主義の外資系企業やベンチャー企業が入り組んでいる状態である。
この状況の中で若者がどのような就活をするかと言うと、"この会社に入れば安泰"で会社選びをする人もいれば、"転職前提でスキルを磨ける"ような会社選びをする人もいる
どちらの選択がダメだと言うわけではなく、日本が雇用の流動化を進めたがっているのに進めきれてない状態の現在を生きる若者が、国の方針が安定するまで、どちらの選択をすればいいのか分からなくなり、将来の方向性を見失うということが言いたい。
このことから私自身がどのような悩みを抱えているかというと、
くらげたそが全国転勤型の男性と結婚することになった場合、キャリアを繋げていくのは難しいので派遣社員かパートになるか、専業主婦になるかの選択になる。
自分ではその地点で専業主婦はなれたらサイコーだと思ってるんだけれど、
10〜20年後女性の働き方、雇用の流動化が安定したときに、
専業主婦になったはいいけど専業主婦が異端の存在?になってしまって世間の目が痛い…となるのが怖いから
どうすればいいかわからんぞ!というところに行き着くのである。
ここまで考えた結果、「もー将来どうすればいいかわからん!!!考えても答えがでない!!!」
としかならないので、世の流れに沿ってなるようになるだろうと思いながら生きていくのが良いのだろうなあ、いという結論にいつも至る。
よっぱらいが書いた文章なのでかなり読みにくい文章だと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます❣️
6月30日 北海道三笠市旧唐松駅舎での思い出
今日から3日間、北海道で現実逃避をしてくる。
初めて北海道(の田舎)に行った時、とても衝撃を受けた。
空気が綺麗なのはもちろん、人と人との距離感もほどよい。(物理的な距離が近いわけではないのに、皆さん心があったかい)
去年の8月に北海道に行った時に出会った、忘れられない人の話をする。
私はその時、ドライブをしていた。多分行く先のない行き当たりばったりのドライブであったと思う。
そこで偶々、旧唐松駅舎の前を通った。私は昔秘境駅巡りをするのが好きだったので、興味を持ち、中に入ってみることにした。
鍵は施錠されていて、入ることができなかった。
その時、駅の管理人さんが声をかけてくれて、鍵を開けてくれた。
中には、当時、唐松駅を運営していた人々の写真や、利用していた人々の写真、思い出の品などが残されていた。
管理人さんは、「当時の人々の思いを忘れさせないために、住人で管理しているんだ」と言っていた。
その話を聞いて、現地の住人の結束力の強さに胸を熱くした。
その後、管理人さんに他のイベントに誘われたのだが、日程が合わず、参加することができなかった。
人の温かさを忘れてしまった時、みんなそんなに仲良くないのに大きな街で人が敷き詰められているのを見た時に、この時のことを思い出す。
2018年6月29日 人を信じるということ
元々私は恋愛にどっぷりと浸かる人間ではなかった。誰かを頼って生きていくのが怖いからだ。
人生においては、20年という少ない人生の中で、多くの人の裏切りを見てきた。
人というのは、最初は甘い顔して他人につけ込み、いざとなったら掌を返したように冷たくなるものである。
一番かわいいのは自分だからだ。人というのは残酷である。
多くの人の裏切りを見てきたが、人に話せる経験を一つ挙げてみる。
私は高校時代に、毎日ご飯を食べていて、一緒に勉強をしていた友達がいた。
私もその友達も首都圏の大学を志望していて、いつも一緒に東京(神奈川)の大学に合格するために頑張ろうと言っていた。私の高校は成績順にクラスが振り分けられていて、私は3年から一番上のクラスに行くことができた。
その子は一足先に、2年次に一番上のクラスに行っていた。3年次も彼女の方が成績が上だったし、彼女なら東京のそこそこいい大学に行けるだろうと思っていた。
結果は、お互い第一志望の国公立は受からなかった。
私は滑り止めで受けた今の大学に合格していたので、なんとか東京の大学に行くことはできた。
しかし友達は東京の大学には引っかからなかった。彼女の方が普段の成績は上だったのに、大学受験とは不思議なものである。
お互い首都圏進学を目指していて、それを取れたのは私だけという結果になった。そのことで彼女との友人関係は崩れた。
あれだけ仲良かったのに、3月以降一切連絡を取り合わず、卒業旅行に行くこともなかった。(彼女は国公立後期で地方に行ったのだと、他の人から聞いた)
人間関係というのはこのように、ちょっとしたことですぐに崩れてしまうものである。
その子とのことはよくある友人関係のいざこざであるが、他にも家族関係や友人関係、その他で人は裏切る生き物だというのを肌で感じてきた。
だから、誰かに頼る生き方はできないのである。
一人の人に依存しないよう、自分の気持ちを複数に分散させて20年間生きてきた。
しかしその生き方が180度変わった。
今の恋人というのは、私が人間不信のめんどくさい人間でも真っ直ぐにぶつかってきてくる人であった。
私は10年間父親と一緒に住んでいなかったから、随分年上な彼に、大人の男性が私を守ってくれる存在?というのを求めるようになったのだと思う。
人を信じるということを教えられ、私の居場所を作ってくれた。
もうここまできてしまったから、私の人生においては彼を置いて考えることができない。
きっと離れる時は、私の心が死んだ時…な気がする。
1月28日 夏は完璧であり冬は不完全である
今日は起きて図書館でだらだら勉強していた。
夏は完璧で冬は不完全だ。
私は基本的に夏が好きだ。強いて言うなら虫が湧くのが夏の苦手なところなのだが、これは欠点ではない。
夏が最高だからみんな喜んでいるだけなのだ。
一方、冬は不完全だ。生き物はまだかまだかと春を待ちこがれている。
冬にエッチがしたくなるのは不完全さを埋めたいからかもしれない
1月27日(就活の軸に対する不安)
今日は二日酔い状態で起床した。
夢の内容は周りの人から責められるような内容だったので、あまりいい夢ではなかったと思う。
基本的に一日中テスト勉強をしていたのだが、今度のテストは前日の夜少し勉強すればなんとかなるテストなので、中々身が入らなかった。
最近憂鬱であることは、殆どが今後の就活に対する不安から生じるものである。
正直、選ばなければどこかしらには受かると思っている。しかし、その会社に入りたいと私が思うかは、別の話だ。
現在の就活の軸は、
・平日は労働に1日を費やしてもいいが基本的に週休2日は欲しい
・将来性のある業界かどうかは重要視していないので、数年は持ってくれて転職時にあまり苦労しないところ
・勤務地の安定(現在は東京)
・規模は気にしないので、入社・出世競争が激しくない所
・年収は生活が苦しくならない程度に欲しいが、そこまで高くなくてもいい
・会社の知名度は無くていい
こんなところだ。ただ、勤務地の安定というのは、将来的に勤務地が東京である方が良いのではないか、と考えているだけで、東京という街そのものに魅力を感じているわけではない。
若いうちは東京に限定せず多くの土地の人と触れて多くの経験を積む、というのも一つの考え方だと思う。
それと、自分に数年後転職するバイタリティがあるかどうかも怪しい。(矢張り大きな企業に入って長く働いていく方が良いのでは?)(しかし今の時代終身雇用に頼るよりは、自分自身を磨く方が大事なのでは?)とも思う。
もう最初に考えていた条件を就活の軸として考えてしまった方が楽なのだが、どうしてもそれに納得できない自分もいる。そういうめんどくさい人間なのだ。
今回もきっと今までのようになるようになり、半年後には全てが終わっていることだろう(と信じたい。)
だが、このようなことで悩めるのは今のうちなのだから、本来やらなければならないことをやりつつ、あと1ヶ月考えられるだけ考えていきたい。
この10年間のインターネットライフを振り返る
わたしはインターネット依存症で、一生離れることができないのだと思う。
何故なら10年インターネットと共に生きてきたからだ。
わたしがインターネットを始めたのは9歳のときだ。
当時友達がいなくて(その時はクラスに1人も友達がいなくて教室の隅で絵を書いているような小学生だった)
でたまたま4つ上の姉がハンゲやってて面白そうだなーって思って始めた。
タイに住むすることが決まっていて、友達とも離れてしまい、現地で娯楽があまりなかったというのもある。
そしてインターネットにのめりこみ、2ch見てコメント書いたり、ニコニコ動画で囲いのうp主を作ったり、まぁ酷い小学生だった。
中学に入ってからはグリーとかアメピグが流行ってたからハンゲからそっちに移った。
ハンゲの頃からそうだったけど、ゲーム自体にはまってたというよりは沢山のアバターを人に買ってもらうように大人に媚びるのが面白かった。
女子中学生ってだけでチヤホヤされていた
mixiは年齢制限があったからやらなかった
Twitterを始めたのは中3の時だから6年前か。
大学受験をきっかけに高3の時にネットから足を洗おうとおもったが、結局大学1年の時に戻ってきてしまった。
他のSNSはやめていったが、Twitter依存は消えてない。(インスタとswarmはTwitterありきでやっているので続けてるSNSには含めない)
高校生以降は実生活が充実していたと思うが、それでもネットの人とおしゃべりするのは好きだ。
6年前とは絡む人が随分と変わってしまったけど、リプライ中心のTwitterスタイルは変わってない。
実生活では全く関わりのない人と喋ることで、実生活から離れる体験をしていたいのだ
今になってもわたしがインターネットをやめられないのは、ずっとわたしの人生にインターネットが染み付いているからだと思う。
おそらくTwitterがなくなってもインターネットをやめることはできないだろう。
Twitterがなくなった時の居場所を作っておくために、ブログやインスタを始めてみた。
突然自分が何故インターネットをやっているかを書きたくなった。
ぱーっと思いついたことを書いてるだけだから文章読みにくいと思うけど、読んでくれてありがとう!
そういうことなのでみなさんこれからもよろしくね⭐️